若山城は、周南市福川から夜市にまたがる若山を利用して築造された中世山城です。標高217mの山頂を中心に、東西約450mにわたって稜線上に築造されており、その形態から「連郭式城郭」とよばれています。また、空堀や堅堀、壇床などの防御施設が現在もよく残っています。
若山城は大内氏の重臣であった陶氏の本城であったと伝えられています。陶晴賢が厳島合戦で毛利元就に敗れた後、晴賢の子・長房がここ若山城に立てこもって毛利勢に抵抗したものの、杉重輔・正重兄弟に攻められたため、長房は城を出て龍文寺(周南市長穂)へと逃れ、若山城は落城しました。
若山城は、昭和62年、「若山城跡」として山口県指定文化財となりました。