仏光山 性梅院(しょうばいいん)にある、領主 堅田家歴代の墓所です。 堅田氏の本氏は粟屋氏で、永禄十一年(1568年)に粟屋元通の次男として粟屋元慶が生まれました。元慶は小早川隆景の養子となり小早川を名乗るよう命じられましたが、これを固辞し、当時の美祢郡堅田に所領があったことから、改めて堅田の姓を賜りました。 墓所は、2代就政が湯野・戸田莇地・日置の領主になって以来のもので、初代元慶をはじめ歴代の墓石があり、萩藩の重臣にふさわしい立派な形式と規模を誇っています。
仏光山 性梅院