堅田家の家臣だった娘・陽晏と、この家の食客大五郎乗実という若侍の叶わぬ悲恋が言い伝えとして残ります。乗実橋のたもとには、日本石刻会の第一人者故鈴木政夫氏の作品が散策する人に安らぎを与えるかのように佇んでいます。
<言い伝え>
嫁入り間近であった陽晏と恋仲になってしまったことから、乗実は陽晏の父親の怒りを買って住む場所を追われました。しばらくして、寂しさに耐えかねた乗実が里に戻ると、残された陽晏は心を病んでいました。
乗実が夜ごと人目を避けては橋を渡り、陽晏を看病した結果、病気は平癒したものの、所詮添える定めになかった二人は淵へ身を投じてしまいました。以来、その淵を陽妟淵、橋を乗実橋と呼んで2人の悲恋を今に伝えています。