現在、コンサートなどでも使用されている周南市文化会館がある場所には、江戸時代、藩主であった徳山毛利家の藩邸がありました。
徳山毛利家のはじまりは、毛利元就の孫、輝元の次男である就隆です。就隆は、はじめ下松に藩邸を構えましたが、慶安3年(1650年)、現在地へ移し、地名を徳山と称しました。
そして、城下町を整備し、明治4年(1871年)に山口藩に合併するまでの間、繫栄してきました。藩邸は昭和20年(1945年)、徳山空襲によって焼失しました。
敷地内には、ガス灯が並び、大坂城の残石が展示されているなど、様々な見どころがあります。