貞和3年(1347年)、能登にあった總持寺(そうじじ)の天徳曇貞大和尚(てんとくどんていだいおしょう)が開かれたお寺で、安永年中(1772~1780年)の火災で観音堂をはじめとする大部分が焼失しましたが、再建され現在に至ります。曹洞宗が山口県に入ってきた最初の寺で、その昔は多くの僧が集う修行の場であったようです。
境内の裏庭には「心」の字の形をした池があり、岩間からは「恩返しの雷水」として伝わる清水がこんこんと湧き出るとともに、「大陽寺の七不思議」伝説が残っています。長穂の龍文寺などとともに「防長の曹洞宗四古刹」に数えられます。
雲間を踏み外した雷が、大陽寺の境内に落ちてきた。腰を痛めた雷は、療養の傍ら天徳曇貞大和尚の教えを受けながら、寺男として一生懸命に働いた。当時の大陽寺には、水がなく、日々の仕事の内、雷にとって、山門下の泉まで水を汲みに行くのが大きな仕事であった。
寺に仕えること3年。腰も治り和尚の許しを得て妻子の待つ天上へ帰ることになった。雷は寺裏の岸壁を上って行った。すると雷の付けた爪痕から、清水が噴き出した。
これを恩返しの雷水と呼ぶ。この水は、決して枯れることはなく、今も湧き続けている。
(1)日照りが続く年であっても、雷の水は絶えることはない。
(2)山内では、キジや山鳥が鳴かない。
(3)心字の池では蛙が鳴かない。
(4)山内では、マムシが人を噛まない。
(5)門内に蚊が住まない。
(6)高い大屋根であるが、軒の雨だれが地面を掘ることはない。
(7)心字の池の水は濁ることがない。もし濁ったら寺に何か異変が起こる。