勝榮寺は、もとは大内氏重臣陶氏によって創建された時宗の寺院で陶氏の菩薩寺でもありました。要港・富田津に位置していたので、戦乱の続く南北朝時代、寺院としてだけでなく、合戦時には防御のとりでとなることもありました。そこで陶氏は当寺に土塁や堀を構築したと考えられます。現在は、当時の施設の一部を残すに過ぎませんが、中世の城郭的寺院の例として貴重な遺構です。
また、毛利元就が一揆を鎮圧した際には、当地を本陣としたとされており、元就が3子に宛てた教訓状は当寺で書き残したと伝えられています。そして、豊臣秀吉が九州進発の際、当寺に宿泊したとも伝えられ、勝榮寺土塁及び境内内は、昭和62年に山口県指定文化財(史跡)に指定されました。
このほか境内の勝榮寺板碑は、阿弥陀如来種子で、かつ紀年銘がある板碑として貴重であり、平成4年に市指定文化財(建造物)に指定されました。