1748年(寛延元年)に大津島沖で福岡県能古島の御用船が遭難し、漂着した遭難者10人を供養するお墓。明治10年頃、伊予国(愛媛県)の石工がこの地に良質の石山を発見し移住しました。 石工たちは作業の安全のため十人墓を振興のシンボルとして祀り、毎年7月7日には供養を行い、安全を祈願していました。 昭和47年には福岡県能古島の歴史家により、同島の遭難者であることが確認され大津島と能古島の交流が始まりました。