神功皇后が周防灘の大しけから避難されたところ、幼少の皇子、応神天皇が高熱の病にかかりました。里の老人から「湯野温泉の湯を進ぜば熱も退散する」と聞き、皇子に奉ったところ、熱はたちまち下がり、風が治まった後お帰りになったと伝えられます。
その約400年後、天武天皇の時代である674年春、霊光が輝き、その場所に宮が祀られました。その後、大内義興が桜田山の現在地にお宮を遷宮されたと伝えられています。
敷地には児玉源太郎が文字を記した石碑が残されており、裏には戸田村から日清戦争に従軍した村民30名の氏名を記されています。