元和六年(1620)から10年間にわたり徳川幕府の命で主に外様大名64家の助役により現在の大阪城の石垣が築かれました。 寛永元年(1624)の本丸と天守台石垣工事の際に、毛利家は大津島から98個の切石を大阪へ運ぶ予定(毛利家文書)との記録があります。現実に何個の石材を運んだかは判明しませんが、小天守台修復工事の際に確認され記録を裏付けることができました。 島の残石のほか山口県立美術館や周南市文化会館に展示されている石には、毛利家の家紋を省略した形が彫り付けられています。