万役山に設置された石碑。正徳5年(1715年)に起こった、徳山藩と萩藩との境界紛争発端の地であることを示しています。石碑に「万役山尾崎」とあるのは、万役山とは通称で、当時、萩領では墓ノ尾山、徳山領では尾崎山とも呼ばれていたためです。
徳山藩と萩藩の争いである万役山事件をきっかけに、正徳6年(1716年)に幕府の命令で改易となった徳山藩。家臣や領民の献身的な運動により、享保4年(1719年)に藩の再興が認められ、改めて城下の整備が進められました。
※付近は墓地のため、お立ち寄りの際は、周囲の迷惑にならないようご留意ください。